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INAX REPORT

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特集1

曾禰達蔵

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日本人・初の“建築家”のひとり

曾禰達蔵の住宅<小笠原伯爵邸>
曾禰達蔵

曾禰達蔵は、江戸に生まれ、明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜き、昭和12年(85才)まで現役で活躍した建築家です。辰野金吾と共に工部大学校造家学科でコンドルに西洋建築を学び、明治12年に第1回生として卒業しました。三菱で華々しい活躍をした後に独立し、民間で初めての設計事務所「曾禰中條設計事務所」を開設しました。仕事量も多く、優秀なデザイナーが集まったと言われています。作品は、国内で始めて地下鉄の駅とビルが融合した「明治屋ビルディング」(現、明治屋本社京橋ビル)を初め、オフィスビル、銀行、学校、会館、病院など、最先端の技術を要する工場から住宅まで、さまざまな建築を手がけ、約230の作品を作りました。
  本誌で紹介している作品は「慶応義塾創立五十年記念図書館(重文)」、「小笠原長幹伯爵邸(修復・改修)」、「三井銀行 小樽支店」です。
上の写真は曾禰達蔵の住宅<小笠原伯爵邸>:曾根の住宅は華族や財界人の別荘が多く、現存するものも少なくありません。この小笠原伯爵邸は貴族院で活躍した小倉藩主・小笠原長幹伯爵の本邸。本格的なスパニッシュ様式で、一番華やかなのは喫煙室です。トップページに掲載されているブルーの天井の部屋は喫煙室内部。イスラム独特の幾何学模様をモチーフにデザインされています。一方、アールのついた庭側の外壁部分には釉薬の天才と言われた“小森忍”のタイルが施されています。また、足元には、同じく“小森忍”がデザインした装飾性の高い焼物のオリジナル定礎銘板がはめ込まれています。
  この住宅は、所有する東京都がPFIで借受企業を公募し、選ばれた企業が2年掛りで修復をしました。そして、現在は「小笠原伯爵邸」という同名のレストランとして利用されています。

丸の内煉瓦街「一丁倫敦」

丸の内煉瓦街「一丁倫敦」で大活躍

コンドルの推薦によって三菱に迎えられ、丸の内8万坪の都市計画、建築計画を担当し、いわゆる赤煉瓦街「一丁倫敦」の建設に尽力しました。恩師コンドルが設計した「三菱1号館」では現場を担当し、「三菱二号館・三号館」はコンドルと共同設計、「三菱四号館」以降「三菱七号館」までは、曾禰が単独で設計しています。その後、曾禰は自身の事務所を丸の内に設け、「東京海上ビルディング」「日本郵船ビル」などを次々に設計し、世界に通用する一大ビジネス街づくリに貢献しました。

慶應義塾創立五十年記念図書館

「慶應義塾創立五十年記念図書館」

現存する曾禰中條事務所の作品の中で最も有名な作品の1つで、国の重要文化財にも指定されています。「変わった建物を…」という慶応義塾の要望に、曾禰はさまざまな案をプレゼンテーションし、その中からゴシック案が採用されたという経緯があります。
  戦災を受けましたが真っ先に修復され、同校のシンボル的役割を果たし、現在は旧図書館として美しい姿を残しています。

三井銀行小樽支店

三井銀行小樽支店

外観は花崗岩張りで精細な軒蛇腹がまわっており、どっしりとした中にも優美な雰囲気を醸し出しています。小笠原伯爵邸と同じく、関東大震災直後の設計のため、耐震性を重視したつくりになっています。
  営業室の内部は大きな吹抜けに回廊を巡らせており、天井の石膏レリーフや大理石張りのカウンターなど、当初からの姿をよくとどめています。
  銀行の統廃合によって、現在は地元企業の所有となり、文化施設への転用が検討されています。

慶應義塾幼稚舎

再晩年の作品

曾禰達蔵は85才(昭和12年)まで現役で活躍したため、西洋建築を学んだ草創期の建築家の中で唯一モダニズムの作品を残しています。その代表例の一つが「慶應義塾幼稚舎」。1937年に新進の建築家谷口吉郎とコラボレーションによって作りあげました。DOCOMOMO100選に選ばれています。

徳川宗家・徳川家達公爵本邸の図面

「Document File」

曾禰中條建築事務所の貴重な彩色図面が紹介されています。特に、徳川宗家・徳川家達公爵本邸の図面は、トレーシングクロスという織布を塗料でコーティングした用紙にインキングされたもの。そして複数の図を1つの図面の中に構成し、1枚の絵のように美しく仕上げています。

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