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INAX REPORT

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特集2

『建築に何が可能か』原広司

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建築だって世界を変えられる

原広司×内藤廣
建築に何が可能か

 「時代をつくった本」をテーマに、建築家・内藤廣氏が著者をゲストに迎え対談するシリーズ。今回は『建築に何が可能か-建築と人間と-』です。これを書くに至った経緯、メッセージしたかったことは何だったのか…など、著者・原広司氏との2時間の対談です。
 原氏30才の誕生日に、羽田国際空港で夫人・若菜氏に原稿を託してヨーロッパに旅立った。それが『建築に何が可能か』の原稿だったというエピソードが披露され、若き原氏の熱い思いが伝わってくる滑り出しでした。そして「エンバイラメントの会」、「RAS建築研究所」時代の話、ミースが提唱したユニバーサルスペースに抱いた疑問、そして原氏が提唱し建築界を大いに賑わせた「有孔体理論」、「浮遊」、「様相」の概念など、難解と言われる原氏の思考の軌跡が鮮やかに浮かび上がってくる対談になりました。

『建築に何が可能か』は1967年、学芸書林から発刊。現在は絶版です。

伊藤邸
慶松幼稚園
ヤマトインターナショナル

対談 人間と建築の同義性を証明したい

内藤  伺いたいんですが、“建築”という言葉がありますね。これがやっぱりいろいろな記述において、日本の建築論を複雑なものにしているような気がするんです。もともと、“アーキテクチャー”というのは抽象概念で、“ビルディング”は具象概念ですね。原さんはこの本の中では“建築”という言葉を極めて抽象概念として使おうと努力されていたように読みましたが、その意識というのはおありになりましたか。
  結局、あんまり“もの”をつくっていない段階で建築というものを考える時には、やっぱり抽象的にしか考えられない。ちなみに、話は最初に戻りますけど、僕は“人間”と“建築”を何とかして同義的に語らなくてはならないと思っている。それ自体が良いのか悪いのかは知りませんが、僕は良いと思っているし、今もそうあるべきだと思っているけれども、それが、つまり建築そのものじゃなしに、ある論理があって、その論理を媒介にしないと、その人間とものである建築とが対応していかないというか、そういう思考方法は今も僕の中に根強くあるんですね。「それならあなたはつくる時に感性的な力を借りないのか」というと、感性的な力は借りるんだけども、それでもやっぱりひとたび、他者というものを意識すると、それは建築家だろうと建築に住んでくれる人であろうと、その人たちと話をする時には、つまり建築も機械もエレクトロニクスも何もかも“全部一緒にした文化”みたいなフィールドで語っていかないと、その人と本当に話をすることはできないんじゃないか。そういう感じは今も持っているんです。
内藤  建築論では、とかく“建築”と“建物”、“アーキテクチャー”と“ビルディング”を混濁して語られることが多いんですが、その意味では久しぶりに本当の建築論を読んだような気がしました。建築論の語源を東大の図書館で調べてみたら、『工學字彙』では明治18年に“造営術”と書かれているんです。それで、その後“造家学科”になって、ビルディングは“家屋”と訳されているんです。ゴティックアーキテクチャーについては“ゴチ造営術”と書いてあるんです。つまり、建築をテクニカルなものの上に建つ抽象概念という風に捉える歴史がなかったんじゃないかと思うんです。その意味では、建築というのを、徹底的に上位概念として捉えているという点では記述が一貫しているような気がしました。その意味ではとても良い思考訓練になりました。分かりにくかったですけど、やっぱり(笑)。
  自分では解決できていない問題を書いているところが相当あるわけですよ。だから、他の人に読んでいただくと「何となくフィリーングとしては分かるけど、ここのところはどうなっているんだろう」と思うんですね。それを一つひとつ聞かれると、「いや、それはまだ分かっていない」みたいなことが多い。この本はそういう本だと思うんですね。

序論・コラム・作品

 序論・コラムの執筆陣は、建築家・宇野求氏、富永讓氏と、哲学者・小林康夫氏(東京大学大学院教授)です。
 作品は、有孔体理論によってつくられ、現在も現役で使われている「伊藤邸」、「下志津小学校」、「慶松幼稚園」、その後、展開した「様相」の概念を建築化した「ヤマトインターナショナル」が掲載されています。

左写真上から:
「伊藤邸」、「慶松幼稚園」、「ヤマトインターナショナル」

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