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対談 一時代を疾駆した『都市住宅』
内藤 植田さんにいつか聞こうと思っていたんですが、『SD』で住宅を扱いきれなくなって、『都市住宅』が創刊されますよね。そして『都市住宅』から分かれて別冊といいますか“作品特集”を出しますよね。住宅っていつもはじき出されている感じがしませんか。…僕は『都市住宅』こそ、本当は住宅を抱えていなくちゃいけなかったんじゃないかという思いがあるんですけど。
植田 混乱する感じがあったんですね。それと、1つは“作品特集”というと、妥協ではないのですが、楽しくつくるというか、作品の良いところをできるだけシンプルに出していくつくり方になるわけです。実際、別冊ではそういう雰囲気が出ていると思います。だけど、『都市住宅』の本旨はやっぱり企画もので、相当コンセプチュアルになりましたから、つまり一緒に作業するのがつらくなってきたこともあったんです。…確かに、抱え込んでもう一回やり直すことができれば面白かったでしょうね。
内藤 あの時に切り離されたような気がします。都市的文脈と住居というのは。
植田 住宅作品、むしろ“作品特集”としての文脈ですね。
内藤 あの時、どうして捕まえておかなかったのか。それはもう捕まえきれないぐらいに、戸建て住宅の作家的な世界が沸き上がってきたんですか。よく分からないんですけど。
植田 そうだと思います。建築家の考え方の面白さを、とにかく一人ひとり極めていくというか…。
内藤 そっちが中心だったんですね。強烈な個性を持った建築家たちが、この頃からどんどん登場してきましたからね。住宅というテリトリーの広がりをもたらしたわけですけれど、一方で、今度は原点回帰の動きも出てくる。雑多なバリエーションのもとはどうだったのかが気になってくる。戦前のモダニズム運動の再評価のような傾向も生み出しましたよね。
植田 “都市住宅派”という言い方がいつの間にか出来ていて、「彼はそうだけれど彼はちょっと違う」とか言われたり、「お前はどう考えているんだ」と聞かれたりするんだけれど、少なくともスタイルで判断するようなことではありませんね。
…
内藤 売れなかったんですか。
植田 今、振り返ると随分、人気があったように思われていますけど、当時は大変だったんですよ。読者層の幅が狭かったし。
内藤 僕らみたいな貧乏学生を相手にしているところが半分あったからですね。「毎号は買えないよな」みたいな感じでしたから。
植田 かもしれない。それと“大学院生雑誌”って言われました。学部の学生は難しすぎて買わない。プロというか社会に出た建築家には実用の役に立たない。結局、大学院生辺りに焦点が合っていると。「よりによって一番狭い読者層に何で合わせるんだ」なんて言われたこともありました。
内藤 やっぱり、圧倒的に学生運動世代という気がしますね。でも、連中は金を持っていなかったですからね。それと、建築というのをものすごく斜に見ていた時期ですから。
植田 それはあったかもしれませんね。
序論・コラム・作品
序論・コラムの執筆陣は、建築家・渡辺真理氏、元倉眞琴氏と、グラフィックデザイナー・杉浦康平氏です。
作品は、「プーライエ」、「塔の家」が掲載されています。
左写真上から:
「プーライエ」、「塔の家」
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