TOP
バックナンバー(NO167〜178)バックナンバー(NO179〜)

INAX REPORT

No.170 特集1 特集2 特集3 連載1 連載2
特集2

『都市住宅』1968年5月〜1976年3月 植田実

この特集のPDFをダウンロード

“学生運動世代”を魅了した

植田実×内藤廣
都市住宅

 「時代をつくった本」をテーマに、建築家・内藤廣氏が著者・編集者をゲストに迎え、対談するシリーズです。今回は一世を風靡した月刊誌『都市住宅』。この雑誌をつくるに至った経緯は、メッセージしたかったことは何だったのか…など、編集者・植田実氏との2時間の対談です。
 『都市住宅』を通して世に出た“都市住宅派”の建築家たちとの関係や、磯崎新・杉浦康平コンビを起用した表紙デザインなどについて、“都市住宅世代”の内藤氏が自分の青春時代を振り返りながら、植田氏の足跡を辿ります。

『都市住宅』は1967年5月創刊。鹿島研究所出版会(現・鹿島出版会)から発行。本特集では植田氏が編集長を務めた創刊から1976年3月号までに焦点を当てています(その後、1986年12月をもって廃刊)。

プーライエ
塔の家

対談 一時代を疾駆した『都市住宅』

内藤  植田さんにいつか聞こうと思っていたんですが、『SD』で住宅を扱いきれなくなって、『都市住宅』が創刊されますよね。そして『都市住宅』から分かれて別冊といいますか“作品特集”を出しますよね。住宅っていつもはじき出されている感じがしませんか。…僕は『都市住宅』こそ、本当は住宅を抱えていなくちゃいけなかったんじゃないかという思いがあるんですけど。
植田  混乱する感じがあったんですね。それと、1つは“作品特集”というと、妥協ではないのですが、楽しくつくるというか、作品の良いところをできるだけシンプルに出していくつくり方になるわけです。実際、別冊ではそういう雰囲気が出ていると思います。だけど、『都市住宅』の本旨はやっぱり企画もので、相当コンセプチュアルになりましたから、つまり一緒に作業するのがつらくなってきたこともあったんです。…確かに、抱え込んでもう一回やり直すことができれば面白かったでしょうね。
内藤  あの時に切り離されたような気がします。都市的文脈と住居というのは。
植田  住宅作品、むしろ“作品特集”としての文脈ですね。
内藤  あの時、どうして捕まえておかなかったのか。それはもう捕まえきれないぐらいに、戸建て住宅の作家的な世界が沸き上がってきたんですか。よく分からないんですけど。
植田  そうだと思います。建築家の考え方の面白さを、とにかく一人ひとり極めていくというか…。
内藤  そっちが中心だったんですね。強烈な個性を持った建築家たちが、この頃からどんどん登場してきましたからね。住宅というテリトリーの広がりをもたらしたわけですけれど、一方で、今度は原点回帰の動きも出てくる。雑多なバリエーションのもとはどうだったのかが気になってくる。戦前のモダニズム運動の再評価のような傾向も生み出しましたよね。
植田  “都市住宅派”という言い方がいつの間にか出来ていて、「彼はそうだけれど彼はちょっと違う」とか言われたり、「お前はどう考えているんだ」と聞かれたりするんだけれど、少なくともスタイルで判断するようなことではありませんね。

内藤  売れなかったんですか。
植田  今、振り返ると随分、人気があったように思われていますけど、当時は大変だったんですよ。読者層の幅が狭かったし。
内藤  僕らみたいな貧乏学生を相手にしているところが半分あったからですね。「毎号は買えないよな」みたいな感じでしたから。
植田  かもしれない。それと“大学院生雑誌”って言われました。学部の学生は難しすぎて買わない。プロというか社会に出た建築家には実用の役に立たない。結局、大学院生辺りに焦点が合っていると。「よりによって一番狭い読者層に何で合わせるんだ」なんて言われたこともありました。
内藤  やっぱり、圧倒的に学生運動世代という気がしますね。でも、連中は金を持っていなかったですからね。それと、建築というのをものすごく斜に見ていた時期ですから。
植田  それはあったかもしれませんね。

序論・コラム・作品

 序論・コラムの執筆陣は、建築家・渡辺真理氏、元倉眞琴氏と、グラフィックデザイナー・杉浦康平氏です。
 作品は、「プーライエ」、「塔の家」が掲載されています。

左写真上から:
「プーライエ」、「塔の家」

この特集のPDFをダウンロード

ページトップ