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対談
内藤 大学の頃から新建築社にアルバイトに行かれていた?
川添 早稲田の明石さんの紹介で、新建築社編集部でアルバイトしていました。1年か半年くらい。
内藤 入社のエピソードは、『思い出の記』で面白く読ませていただきました(笑)。「新建築社に入社早々、私は『くび』になった」…というくだりです。卒業論文や卒業設計が忙しかったために長期に休んで、卒論を仕上げてから出社してみると、どうも変だ。で、編集長の三輪(正弘)さんから、「社長は川添を雇うつもりはない。あいつはクビだ、と言われた」という話だったようですね。
川添 出社したら様子がおかしいんです。社長に「こんにちは」と言ったけど返事もない。「もう来ないと思っていたから、新しく雇う別の人を決めてしまった…」と、三輪さんから帰りがけに打ち明けられたんです。びっくりして「僕はまだ聞いていない。社長のところへいって直接聞いてくる」と言って、当時、新建築社の2階に住んでいた吉岡(保五郎)社長を訪ね、いささか出任せ気味だったんですが、「休んでいる間、『新建築』の編集についていろいろ考えてみた。分からないところ、判断のつきかねるところがいろいろあるから教えてほしい」という話を始めたんです。さすが吉岡社長は数十年間、雑誌で鍛え上げた人物ですから、理路整然と答えるんですね。私も必死でしたから、かなり雄弁にしゃべった。だんだん調子づいて、とうとう将来の抱負にまで話が及んで、帰ったのは12時過ぎなんです。「失礼します」と帰る私に、社長は「明日からしっかりやってくれたまえ」と言ったんです。こうして私のクビはつながったというわけです。
内藤 吉岡さんはジャーナリストとして勘の良い方だったんでしょうね。
川添 勘は良いですね。それと、筋の分かる人なんですよ。気骨があった。
内藤 そういう意味で川添さんと相性が良かった。
川添 そう。だから僕は『新建築』で勝手なことができたんです。
内藤 吉岡さんはもはや伝説上の人物ですね。ただ、川添さんは「当時の建築ジャーナリズムが男子の一生の仕事に価するとは、とうてい思えなかった」と書いていらっしゃいますね。
川添 そうそう。だから男子の一生の仕事に値するものにするためにはメ建築ジャーナリズムの確立だモと思ったわけですよ。それで、読者とともに考える雑誌づくりをやろうと思った。具体的には投稿欄QQQQにつながっていくんです。
内藤 国立国会図書館コンペ規定を巡る建築著作権運動は、吉阪隆正がこのQQQQ欄へ書いた投書がもとになっていますね。
川添 そうです。それから、建築批評と建築評論の確立もやったわけです。
序論・コラム
序論 建築史家・建築批評家/五十嵐太郎氏
コラム1 東京工業大学大学院准教授/塚本由晴氏
コラム2 評論家/井上章一氏
左写真上から:『メタボリズム1960―都市への提案』、「香川県庁舎」、「伊勢神宮」(写真:神宮司庁)、「善照寺本堂」
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