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INAX REPORT

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特集1

松田軍平

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アメリカ帰りの古武士

石橋徳次郎邸
松田軍平

 松田軍平は明治27年(1894)、福岡県で生まれました。東京大学出身の鉱山技師であった父・武一郎は、子どもたちに実地で経験を積んでから上級の学校で勉強することを勧め、更には旅をすること、海外で知見をより広め、新しい視野を身に付けるよう諭します。その教えを守り、軍平は大正7年(1918)、名古屋高等学校建築科を卒業し、清水組に入社します。そして2年で清水組を退社し、当時、様式建築全盛を迎えていたアメリカで建築を学ぶため、コーネル大学建築科3学年に入学します。更にその2年後には建築科で成績が最も優秀な卒業生に贈られるクリフトン・ベックウィズ・ブラウン碑を受賞します。卒業後に参加したヨーロッパ建築見学ツアー中に関東大震災の報を知り、帰国を考えますが、兄・昌平からアメリカにとどまって働くことを勧められ、ニューヨークのトローブリッジ&リヴィングストン建築事務所(以下T&L)に入所します。「三井本館」(1929)の設計に2年間携わり、帰国後も三井本館を始め、T&L設計の三井銀行4支店の工事監理に従事します。アメリカでの数多くの経験によって軍平は、建築家として大きく成長し、自信、そして誇りを得ました。
 昭和6年(1931)、松田建築事務所を開設します。アメリカ時代に得た多くの縁を通して、事務所は飛躍的な発展を遂げます。その裏には良きパートナーと良きパトロンとの出会いがありました。パートナーは、後に事務所をともに牽引する同じコーネル大学卒業の後輩・平田重雄、そしてパトロンは三井家と、兄・昌平が建築顧問を務めるブリッヂストンタイヤの石橋家です。昭和17年(1942)、事務所名を松田平田建築設計事務所に改称し、平田との二人三脚がスタートします。
 後年は建築技術の研究開発とその技術を採用した計画に取り組むなど、建築を通してより良い社会をつくっていくことを目指しました。また、アメリカと比較すると認識の低かった建築家(アーキテクト)の地位向上のために力を注ぎ、建築家の職能確立の先駆けとして活躍した軍平は昭和56年(1981)に86歳でこの世を去ります。
 本誌では代表作の中から「旧・三井高修伊豆別邸」、「石橋徳次郎邸」、「旧・三井物産門司支店」を紹介しています。

写真上:

「石橋徳次郎邸」(1933)

 パトロンであった石橋徳次郎から依頼された事務所第2作目の作品です。“2作目”というのは、「旧・三井高修伊豆別邸」の基本設計がこの作品より早く出来ていたためです。
  建物は施主の要望によって、スパニッシュの様式が取り入れられています。写真は、1階居間。白色プラスター塗りの壁と褐色の木部とのコントラストが美しく、梁や扉には幾何学的な装飾が施されています。現在はブリヂストンの迎賓館として使用されています。

旧・三井高修伊豆別邸

「旧・三井高修伊豆別邸」(1934)

 事務所第1作目の作品。スパニッシュの様式を用いた建物です。軒の出が少ない緩やかな傾斜の屋根にはスペイン瓦が葺かれ、外壁は白い塗り壁で煙突も同じ仕上げです。煙突、アーチ型の開口やテラスに面した吹き放しの廊下、外階段と連結した屋根付きの木製バルコニーなどスパニッシュ様式の要素が至る所に表現されています。

旧・三井物産門司支店

「旧・三井物産門司支店」(1937)

 事務所初の高層建築です。竣工時はタイル張りでしたが、現在は正面入り口の黒花崗岩張りを残し、それ以外は淡いピンク色のモルタルが吹き付けられています。この入り口には平田のコーネル大学時代の友人で彫刻家の安喰たかのぶのレリーフがはめ込まれています。現在、北九州市が管理しています。

家族写真

家族写真

左から軍平、姉・直枝、父・武一郎、母・寿恵、兄・昌平

石橋徳次郎邸パース
軍平がデザインした墓

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 コーネル大学卒業後、ヨーロッパ建築見学ツアー中に描いたスケッチや三井高修伊豆別邸のプラン、石橋徳次郎邸パースのドローイング、軍平が設計した墓などを紹介しています。

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