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対談
古谷 メディアテークは、1995年にプロポーザルコンペが行われて2000年に竣工ですから、普通に考えると、かなり長い時間のプロジェクトでしたよね。当初から結構、長めの設計期間が見込まれていたと思いますけど、その当時の最先端の技術といわれても、4年も5年も先の技術を今、想像するなんてとてもできない。それが私の最初の取っ掛かりでしたけど、伊東さんの場合、スタートはどういうところから始まったんでしょうか。
伊東 僕の場合は、あの頃はもはや『風の変様体』の“風”から“水”に変わっていたんです(笑)。これは何度も話したことではあるんですが、コンピュータと水とが僕の意識の中で結びついていたんです。ある時、戸田ツトムさんの新聞の記事に、大変、感銘を受けたんです。「自分は1日モニターに向かって仕事をしています。そうするとそこに描かれているイメージが、自分の脳から出てきたものなのか、外の世界からやってきたものなのか、分からなくなる。その時に自分の足が水に浸っているように感じるんです」という言い方をしていらっしゃった。それはつまり「世界の人たちは水で結ばれていて、それが今、コンピュータネットワークという、もう一つの見えない水で結ばれている」と言いたかったんだろうと思うんです。「人間は『自然』をコンピュータによって思い出すことができた」という文章でした。その時から水とコンピュータが、いつも僕の中にあった。だから“せんだい”を考えている時も、最初はバカみたいに、あの建物の中に水を流そうと思っていたんですよ。上から下まで水が流れていく(笑)。こういう考えと、海草のイメージスケッチがオーバーラップしているんですよ。出来たものは、前面にあるケヤキの幹のように見えますが、最初に考えたのは、水の流れということ。それがあの有機的なチューブのイメージにつながって、後はプログラムの分析をしながら、変わっていったのです。結局、“せんだい”はオフィスビルのような空間をつくればいいんだと思ったのです。その時に、与条件の中でギャラリーホールだけは、非常に天井高の高いものが要求されていましたので、そこだけどうしたらいいかなと思った。オフィスビルの中にドームのような構造体を入れ込まなくてはいけないかなと思っていたのですが…。それをさらにコンセプチュアルにするために、「ギャラリーホールも少し天井を上げて、同じオフィスの中に入れてしまえ」と、その時にスケッチが出来た。
古谷 確かホールが膨らんだ形で内包されたスケッチもありましたよね。
伊東 そうなんです。それがあったからチューブが登場して、純化されたのです。
プロローグ 建築家・前橋工科大学大学院教授|石田敏明氏
本論 建築家|ヨコミゾマコト氏
左写真上から:「横浜 風の塔」、「八代市立博物館・未来の森ミュージアム」 |