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INAX REPORT

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続・生き続ける建築
特集1

ジェイ・ハーバート・モーガン

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アメリカと日本を生きた建築家

ラーハウザー記念礼拝堂
J.H.モーガン

 ジェイ・ハーバート・モーガンは明治元年(1868)、ニューヨーク州バッファローに生まれました。明治18年(1885)、一家でミネソタ州ミネアポリスに移り、明治22年(1889)、歴史主義建築を得意とするワレン・B.ダネルのもとでドラフトマンとして働き始めます。その年、ボーウェン邸が完成し、雑誌に掲載されます。モーガンのデビュー作となったこの住宅は、当時流行していたクイーン・アン様式を主にした作品で、設計当初から時代の流れを敏感に察知しながら設計活動に取り組んでいたことがうかがえます。明治25年(1892)、ウィスコンシン州ミルウォーキーに移り、ウィリアム・D.キンボールの事務所で修業し、その後、ヨーロッパで建築教育を受けたドイツ人建築家、オットー・ストラックの事務所に勤務。歴史様式を自在に操る建築家として成長していきます。明治32年(1899)には、アメリカ最大の建築施工会社・フラー会社の招きでストラックと共にニューヨークに進出し、ホテルや劇場などを手がけ、さらに経験を積み、明治44年(1911)、設計事務所を開設します。
 大きな転機が訪れたのは大正9年(1920)、フラー会社に招聘され、設計技師長になるため、51歳で来日します。丸ノ内ビルディングなど、日本における建設業近代化の代名詞となる大規模ビルディングの建設に参画し、アメリカの先進的な施工技術を伝えるという大きな役割を果たします。すでに建築家として成熟していたモーガンは、日本での実績と知己を得て、日本で設計事務所を立ち上げ、日本永住を決意します。そして以後、居留地の建築家として外国人コミュニティの中で力を発揮し、住宅、学校・教会などのミッション建築を主体に、銀行や病院など数多くの作品を残しました。
 作品の足跡を辿ると、来日後しばらくはアメリカそのものだったモーガンが、徐々に日本建築の魅力を発見し、自作に投影していったことが分かります。今号では、彼が日本にもたらした功績について考えました。
 本誌では、「ベリック邸」、「東北学院ラーハウザー記念礼拝堂」、「チャータード銀行神戸支店」を紹介しています。
 
写真上:

「東北学院ラーハウザー記念礼拝堂」(1932)

 この建物は、米国の一信徒、ラーハウザー夫人の寄付によって建設された東北学院内にある礼拝堂兼講堂です。モーガンの作風は、古典主義やスパニッシュ様式など多彩に取り入れることが特長ですが、ミッション系の学校や教会は中世城郭風の意匠の影響が強いといわれています。
 写真は礼拝堂内部です。装飾が抑えられ、清明さを醸し出しています。尖頭アーチをやや扁平に抑えたところや外観のバットレスの表現などにチューダー・ゴシック風の要素が見られ、歴史様式に精通していたことがうかがわれます。

ベリック邸

「ベリック邸(現・ベーリック・ホール)」(1930)

 横浜の山手外国人住宅内に建てられたイギリス人貿易商、B・H・ベリックの住宅です。外壁はクリーム色のスタッコ仕上げが施され、モーガンが住宅を設計する際、好んで用いたとされるスパニッシュ様式をメインに構成されています。
 写真はリビングルームです。アーチ状の連続窓によって、華麗で明るい、よりインパクトのある空間にしています。ベリック氏はフィンランド領事も務めた人物で、この空間は社交場として使われていたといわれています。

チャータード銀行神戸支店

「チャータード銀行神戸支店(現・チャータードビル)」(1937)

 モーガンが得意とした古典主義的意匠の銀行建築です。2層分の高さのピラスターによって重厚な雰囲気を強調しています。モーガンが設計した銀行建築として唯一、現存する建物です。現在は、商業複合施設として活躍し、金庫のある営業室は、現代風にインテリアデザインされて、そのまま使われており、カフェとして人気を呼んでいます。

ドキュメント・ファイル|略歴|主な作品
 ドローイングの他、略歴や主な作品年譜を掲載しています。

本論 関東学院大学人間環境学部人間環境デザイン学科教授|水沼淑子氏

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