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INAX REPORT

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続々モダニズムの軌跡
特集2

坂本一成×古谷誠章

坂本一成×古谷誠章

当たり前のようで当たり前でないものを…

 1996年に始まった特集「モダニズムの軌跡」の続編シリーズです。建築家・古谷誠章氏を聞き手に、今なお“時代を導く人”として建築界で活躍する建築家にスポットを当てたロングインタビューです。
 今回のゲストは坂本一成氏です。1966年、東京工業大学に入学し、篠原一男氏に師事。大学院卒業後は篠原建築に影響を受けながらも、自分の感性を磨き、そこから“まちの建築であること”を生み出し、それを軸にした住宅を世に送り出してきました。一方で、東京工業大学で1977〜2009年にわたって教鞭を執り、後進の育成にも全力を注ぎました。常に建築と社会との関係を意識しながら設計に取り組んできた坂本一成氏の1980年代から2000年に至るまでの作品の足跡を辿りながら、話を伺いました。

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水無瀬の町家
コモンシティ星田

対談

古谷|「水無瀬の町家」[1970]は少し後になりますね。
坂本|篠原研を出る前で、ドクターの学生の頃になります。水無瀬は両親と妹の住宅として設計したものです。途中で私が借りて1年近く住んだものですから、私の家のように思われた節もありますが、全くそうではないんです。あれが1970年ですから、ドクターの2年目くらいでしたかね。
古谷|そうですね、71年までいらっしゃいましたものね。やっぱり一種の例外的な活動として認められていたんですね。でもそれがやっぱり坂本さんにとっては出発点と言っていいようなもので、散田の家は最も篠原的とおっしゃいましたし、まさにそういう感じもいたしましたが、水無瀬の町家になると少し、自分独特の自我というか、そういうものがあるように思うんですが、意識されたんですか。
坂本| 散田の家は正方形の平面で、その後、私は正方形平面はないんですね。思い返してみれば篠原一男は、正方形平面がかなりあります。建築は一般的にラショナリズムを持っています。特に、篠原一男は幾何学に対して強い思い入れを持っていて、私も合理主義的な幾何学性みたいなものを篠原研で学んだんです。篠原一男の建築は、その強いラショナリズムに因っているところが多いと思うんです。例えば、白の家では正方形平面で真ん中に柱、天井裏も架構も見せない。一方、私のは架構を見せて、それなりにある種の違いをつくっていますが、しかし大きな枠はやっぱり篠原一男的だと思います。“閉じた箱”という言葉を使いましたが、建築をラショナルな存在として地上に置く。周りとの関係はあんまりない。特に篠原一男の空間は分節することによって関係を切る、つまり内部同士も、外部との関係も同じです。私の散田の家も郊外でありながら、外部との関係はあまりないわけです。しかし水無瀬になって、まちの建築であることで違ったんですね。まちの文脈、コンテクストが、外との関係、つまり敷地の形状に対応して、建物の壁もズレ始め、矩形が変形し始めます。
古谷|揺らいでいるプランですよね。
坂本|外部に対しての関係の中で、建築の在り方の違いみたいなものを感じ始めて、現実との関係といいますか、環境の問題もそうですが、地域性との葛藤の中で、初めて建築の面白さが出てくるんじゃないかと考え始めたような気がします。散田の家は、ある種の形式主義だと言いましたけど、形式を実現すれば良い建築になるのではないですし、形式だけでは建築はできないと思います。今から考えますと、そんな気がします。当時はそんなことは、もちろん思っていませんでしたけど。

本論 編集者・『建築と日常』編集発行者|長島明夫氏
コラム 建築家・東京工業大学大学院教授|奥山信一氏

左写真上から:「水無瀬の町家」、「コモンシティ星田」

   

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