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INAX REPORT

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続々モダニズムの軌跡
特集2

石山修武×古谷誠章

秋葉原感覚”時からあった開放系技術というキーワード。

石山修武氏(右)×古谷誠章氏

 1996年に始まった特集「モダニズムの軌跡」の続編シリーズです。建築家・古谷誠章氏を聞き手に、今なお“時代を導く人”として建築界で活躍する建築家にスポットを当てたロングインタビューです。
 今回のゲストは石山修武氏です。1966年、早稲田大学を卒業し、大学院に進学。1968年、大学院修了とともにDAM・DANを創設します。草創期は、石山氏が師と仰ぐ川合健二氏発案のコルゲートパイプを用いた「幻庵」(1975)や、それを進化させた「開拓者の家」(1986)など、セルフビルドの考えを主とした住宅に没頭します。その後、職人や技術者と協同しながら公共建築にも取り組み、“まち”を意識した設計へと転換していきます。“芸術は技術に支えられている”という理念をもとに設計活動に邁進してきた石山氏の1980年代から2000年に至るまでの作品の足跡を辿りながら、話を伺いました。

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幻庵
リアス・アーク美術館
世田谷村

対談

古谷|石山さんの年譜を振り返ってみると、いろんなところで、とてつもない人に出会って、その人と付き合いが出来て、また次の人に出会って…というようなケースが多いですね。チームボスから始まって…。
石山|そうですね。若い時から黒川さんとか栄久庵さんとか…、うーんと若いんだけど、変に平等に会っていたんですよ。その中でも川合さんという人は極めつけに変な人だったですね。
古谷|でも一目で、とにかくやられちゃった。
石山|一目というか、ドラム缶みたいなコルゲート・チューブの住宅が強烈だったし、本人がむちゃくちゃ頭の良い人なんですよ。5行ぐらいの数式をきちんと言えるような人で、これはちょっとかなわない。僕も相当、教育されたんですよ。でも、記憶力が悪いでしょ。そうすると「スライドをこうやって空に透かして見ると、頭に焼き付くぞ」なんてからかわれてね、まじめにそうやって見ていたこともありますよ。
古谷|最初に会った時には、川合さんは何とおっしゃったんですか。
石山|今でも思い出すけど、東京から車で豊橋まで行って、明け方の4時30分くらいに着いたらね、月明かりの中に丘一面のコスモス畑があって、そこに赤錆たドラム缶があるわけですから、あの光景はすごかったですよ。普通のヤツはみんなまいると思いますね。だけどあの人はそういうのを待っているような面白いところがありますね。それで、6時くらいになったらドアを開けてくれて、入ったら音楽がガンガン鳴っていました。もう、話を聞く前から“やられちゃった”という感じだった。それで話してくれることがみんな面白い。僕の場合は一過性で終わらないんだ、なぜか。すごいなと思うと、繰り返し学びに行くところがあるんです。
古谷|一度くらい訪ねる人はいても、何度も何度も来るような人はいないというわけですね。
石山|いないはずです。いろんなことを、もちろん物理、経済、特に経済に関してはすごい人だったから、むちゃくちゃごった煮的にいろんなことを教えてくれるんだけど、途中で「こいつは、物理系はダメだ」というのがたぶん分かったし、自分でも思い知らされるわけ。この人のところにずっといても、この人を超えることはできないと思いました。それで幻庵になるんです。幻庵の時は、つくって最初に川合さんをお呼びしました。そしたら「石山君、これは芸術になっちゃったね」って言われた。
それで僕はこっちの方面なんだなと思いました。
古谷|それじゃあそこで少し袂が分かれるというか、川合さんの路線とは違うものを見い出されたというか…。
石山|ネガティブに見い出したんですね。

本論 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授|松村秀一氏
コラム 早稲田大学創造理工学部建築学科助教|渡邊大志氏

左写真上から:「幻庵」(写真:早稲田大学石山修武研究室提供)「リアス・アーク美術館」(写真:藤塚光政氏)、「世田谷村」(写真:早稲田大学石山修武研究室)

   

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