TOP
バックナンバー(NO167〜178)バックナンバー(NO179〜)

INAX REPORT

No.189 特集1 特集2 特集3 連載1 連載2
続々モダニズムの軌跡
特集2

東 孝光×古谷誠章

住み方は建築家が定義するものではない。

 1996年に始まった特集「モダニズムの軌跡」の続編シリーズです。建築家・古谷誠章氏を聞き手に、“時代を導く人”として建築界で活躍する建築家にスポットを当てたロングインタビューです。今号は、東孝光氏が病気ご療養中のため、古谷誠章氏の質問に対する東孝光氏の回答を、東利恵氏に口述筆記していただき、それをもとに編集室で誌上対談として構成しています。
 東氏は大阪大学卒業後、郵政省建築部を経て、1960年、坂倉準三建築研究所に入所します。そして新宿西口広場の設計を担当するために単身で上京します。その傍ら、アトリエを兼ねた自邸「塔の家」(1966)を完成させ、そのユニークな発想は建築関係者を驚愕させ、一躍脚光を浴びます。この住宅は、約6坪という狭小敷地に建てた地下1階、地上5階のRC造で、今もモダニズム住宅の代表的作品として語り継がれています。その後、東孝光建築研究所を設立して独立。住宅を中心に設計活動を行い、1995年には、それらの功績が認められ、「塔の家から阿佐ヶ谷の住宅までの一連の作品」に対して、日本建築学会賞が授与されました。

特集の本論・コラム PDFをダウンロード 特集の対談・年譜 PDFをダウンロード
塔の家
清仁保育園森の舎
阿佐ヶ谷の家

対談

古谷|東さんは、塔の家から始まって、この阿佐ヶ谷の家までの一連の住宅で学会賞を取られますね。みんなが「ずいぶんゆっくりだったな」みたいなことを言ったように思いますが、学会賞を取られた時は、正直どういう感想だったんですか?
|家族3人で、淡々と受け止めていました。
古谷|そうですか。
|というのは、何度も候補に挙がっているんです。現地審査も何度もありました。竣工した頃は、反発的な意見もあったようですが、そのうちだんだん評価が追い付いてきたのだと思います。「これは取っていないのはおかしい」と考えて、推薦をして下さったんだろうと思います。何だかあってもなくても同じような気もしましたが、頂ければうれしい。しかし、最初にノミネートされた頃よりは、冷静に受け止めていた感じはしましたね。
古谷|そうでしょうね、きっと。
|結局“一連の住宅”ということで頂けたのが、一番うれしかったですね。
古谷|でもたしか、その間、100戸つくられたとおっしゃっていましたか?
|150戸以上つくっているんじゃないですか。
古谷|それが東さんの場合には、“何とか的建築”というような表現をされることが少なくて、どうしても塔の家のイメージが強すぎるところがありますね。それだけインパクトがあったわけですが…。結局、塔の家は建築、そして設計者、あるいはユーザーとしてのかかわり方に対して、関心を持つきっかけになったそうですね。ご自身も含めたご家族のことですね…。
|そうなんです。以来、ずっと建築というのは、ユーザーが自分で発見し、見い出していく部分が必要で、使い方とかいろんなことに対しては、融通性を持っておくべきだという感覚につながっています。
古谷|「人々が建築を通じて生き生きと生活するのが美しい」って書いていらっしゃいますね。これは結構強い言葉だなと思います。最終的にはユーザーの生き方を建築にするんだということですね。塔の家以降は人生を通じてひとつのテーマになっていったとおっしゃっていますからね。
|建築家は住み方の定義をするのではなくて、たくさんの可能性を引き出して、住み手に発見してもらうことが大事だと思います。
古谷|この対談のために、いろんな資料を一とおり最初から辿ってみますと、さっきから時々お話している子どもの頃の原風景みたいなものが、一種のDNAのようにずーっとつながっている感じがすごくします。その中に今の“ユーザーの生き方を形にする”という、そういうものがずっと心棒…、というほど仰々しくではなく、何となくずっとちゃんと染み込んでいる、そういう感じがしました。

本論 住まいの図書館出版局編集長、建築評論家|植田 実氏
コラム 建築家|黒木 実氏

左写真上から:「塔の家」、「清仁保育園森の舎」、「阿佐ヶ谷の家」(写真:栗原宏光氏)

   

特集の本論・コラム PDFをダウンロード 特集の対談・年譜 PDFをダウンロード

ページトップ